阪神・淡路大震災の被災地を見て回った経験

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阪神・淡路大震災の被災地を見て回った経験

2018/01/17 blog 記事の目次

23年前(1995年)の今日1月17日、戦後初の大都市直下型地震である阪神・淡路大震災が発生しました。

ハウスメーカー広報部に在籍していた当時、震災1週間後の神戸の街を見て回った記憶についてのお話しです。

ママチャリで西宮北口から三宮の兵庫県庁まで

東京広報部の新人だった当時、震災直後に神戸へ向かいました。

大阪広報部の応援のため、大阪の梅田を拠点に1週間滞在しました。

震災から1週間後に、ようやく西宮北口駅まで電車が開通したので、まず西宮北口駅まで行きました。

当時は、ネット環境、SNS環境がないので、とにかく現場にいって実際に確認するしか方法がない時代です。

目的は、三宮の兵庫県庁内の記者クラブに行くこと。

住宅の被害状況を後ほどニュースリリースとして配信する準備などが目的でした。

神戸の街中はパトカーや消防車、救急車などの緊急車両しか入れず、移動手段は徒歩か自転車かバイク。

西宮北口駅近くのホームセンターに、まだママチャリが数台あったので、上司の了承を得て購入。

ママチャリのペダルをこぎ、ノンストップで約2時間かけ、西宮北口から三宮の県庁に向かいました。


三宮の県庁に向かう道中、いろいろな建物の被害状況を見た記憶は鮮烈でした。

まるで爆撃でも受けたかのように、街はめちゃくちゃでした。

道路はうねり、電柱は倒れ、ところどころ、建物が道路に倒壊していました。

空には自衛隊のヘリコプターの音が響き、道路は緊急車両のサイレンが響くなか、だれと話すでもなく、時に地図を確認しながら、驚くような被害の光景を目にしながら、ひたすら自転車のペダルをこいで行きました。

ピロティマンションと切土・盛土

特に印象に残っている光景は、ピロティマンションでは軒並み、1階のピロティ部分が押しつぶされ、車がペシャンコになっていた場面。

クルマのショールームなど、ガラス面の多い建物が倒壊している場面。

また、東西に伸びる大通りと平行に走る裏手の住宅地の路地では、山側と海側とで住宅の被害状況が全く違がっていた場面。

たぶん、山側は切土で海側は盛土だったんだろうと推測しましたが、山側は被害が少なく、海側は軒並み住宅が傾いたり倒壊したりしていました。

地盤って大事なんだなあと、強く認識したのを覚えています。


まだ1月だったので帰りの夕方は、とても寒むかった記憶があります。

沿道では神戸新聞が無料で夕刊を配っていました。まだスマホなどない時代。貴重な情報源でした。

また、YMCAかYWCAが道行く人にホットコーヒーを紙コップで配っていました。

コンビニにも一切商品がなく、電気も無いので当然自販機もストップしている中、一杯の暖かいホットコーヒーはとても心を和ませてくれました。

大地震は滅多に起きません。

でも一旦起きたら、人知の及ばない被害になすすべがありません。

住宅についていうと、大きな地震が起こるたびに、建築基準が見直され、耐震性の向上を図る改定が重ねられてきた歴史があります。

特に地震国である日本では、耐震性は住宅のもっとも基本的な性能だと思います。

また、特に都市部では、家屋が密集していると、類焼・延焼のリスクが高くなります。

同時に、建物の耐火性能も類焼・延焼のリスクに関連してきます。

人にとって住宅は自然や環境から身を守るシェルターでもあるはずです。

新築住宅・中古住宅を問わず、シェルターとしての基本的な性能のチェックは必須だと思います。

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